信じることなどできない
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それはもう日が変わり、そろそろ夜の闇も白み始めるほどの時間だった。機械屋と仲間内から呼ばれている女性は、いつも通り街が目覚めるには早い時間に起きて自宅兼仕事場である機械室の整備を始めていた。
消音装置を付けているとはいえ、様々な機械に囲まれたこの整備室は常に空気の振動する音が響いている。慣れない者にとっては騒音だろうけれども、機械屋には聞き慣れた音だ。その音だけでも心が落ち着くし、また音だけでも機械の不調を知ることができる。機械屋は外出する用事がなければ、基本的に一日をこの整備室で過ごす。睡眠は別の場所で取るが、食事は常に機械のために環境が設定されているここに持ち込む。夏も冬もないこの整備室が、機械屋の住処だった。
同じような商売をしている店の集まるこの地域の中でも、機械屋の店は奥まった場所に看板もなくたたずんでいた。馴染みの客か、訳ありの客以外は訪れることのない店だ。一応の営業時間はあるものの、機械屋の準備さえ整っていればいつ訪れる客も拒むことはない。それを分かっていて訪れる客がいる。
「営業時間には早すぎたか? ばぁさん」
硬質な声が機械音とは別の周波で機械屋の耳に届いた。部屋の扉が開閉する音、そして部屋に踏み入った足音さえさせなかった存在が、いつの間にか機械屋の背後に立っていた。いつものことだ、と思いつつも毎回心拍数が短い時間上がって、それが毎回機械屋には不快だった。
「いつだって営業時間内には来ないだろう? 急患以外はお断りだよ。たまにはまともな時間においで」
そういって振り返る間には静まっている心拍数。平静を装うのとは少し違う。相手を自分と変わらぬ人間だと思うからこそ、その突然の訪問に慌てたりするのだ。だが訪問者の正体が分かってしまえば、もう慌てることもない。自分とは違う、人とは違うものがやってきたのだと分かればそれを認めるだけで十分ではないか。
機械室に入り込んできたのは二十代後半くらいの背が高い男だった。全身を黒で統一した存在感のありすぎる姿。だが彼は闇の中ではその強すぎる存在感をすっかり消してしまえることを機械屋は知っている。疑いようもなく危険な男だけれど、無害を装うことが誰よりも上手い。
今は破壊屋と呼ばれるようになった男を拾ったのは、確かに機械屋だ。多分、他の人間と比べれば、機械屋は破壊屋を理解しているのだろう。そして破壊屋も機械屋の元を頻繁に訪れる。
連れて行けよ。俺はあんたを壊さない。
その言葉を信じたわけでは決してなかったけれども、機械屋は片手片足を切断した少年に機械義肢を作って与えた。それから何度も、少年の成長に合わせて義肢を作り変えている。二十代に入り、成長が止まっても性能や材質を追求し作り変えているのだ。それは純粋に機械屋の好む仕事であった。
その技巧を凝らした機械義肢を使って、この男が“何を破壊しているのか”ということさえ考えなかったらもっと楽しめた仕事だろうと思うこともあるが後の祭りである。あの時破壊屋を殺さなかったのは機械屋自身なのだから後悔のしようもない。
「急患だよ。膝の裏をやられた。応急処置はしたが、長く持ちそうにはないんでな」
機械屋は眉を上げた。膝裏は機械義足にとって歩くには一番支障の出る場所ではないか。そこを伝っている配線は膝を曲げ、足首を動かすにも必要なものなのだから。しかしそれにしては、破壊屋の歩きは自然でどこも壊れているようには見えない。応急処置だと言ったが、破壊屋は自分でそれをやったのだろうか。
「珍しいこともあるもんだ。しくじったのかい?」
整備台にうつ伏せで横になるように促すと、破壊屋はそれに従った。長い体躯を整備台に横たえた破壊屋は一見して無防備だ。今からでもこの男を殺せたら。機械屋は破壊屋に会う度にそう思う。だがそれは簡単なことではない。
「仕事は問題なく終えた。弾が当たったのは偶然だ。俺も人間なんでね。偶然を避ける術は知らない」
それは皮肉だろうか。彼が人間だと主張するのならば、他の人間は何だと主張すればいいというのか。
お前は火之迦具土だ。
神に殺された神。母を殺して生まれ、父に殺され死んだ息子。その存在の危険性は疑いようもなく、存在すること自体に危険性を含んでいるが故に一挙一動、発せられる言葉の全てが疑わしい。この男を信用するために、年月は何の役にもたたなかった。
「ふん、易い仕事とタカをくくっていたんだろう? 自分が強いと思って仕事を続けていると、いずれ痛い目に遭うよ」
その言葉は自分にも当てはまる、と機械屋は思った。機械義肢の精度を追求することは確かに魅力的だ。そしてあらゆる技をつぎ込んだ機械義肢が存分にその性能を発揮できるとすれば、この男ほど良い使い手はいないだろう。だからと言って、このまま人には大きすぎる力を助長するような義肢を、この男に与え続けるべきではない。
いずれ痛い目に遭う。
機械屋はそう確信しているのだ。
「年寄りの言うことは聞けと言うからな。肝に銘じておく」
「どうせ口だけだろうよ。ガキの時分から変わりゃあしない。服は切るよ。修理に邪魔だからね」
断ってから、壊れたという左足の膝から下の服を切り取って捨てる。すると現れたのは皮膚の肌色ではなく、機械屋には見慣れた鋼色だ。一般人用に、機械義足にも人工皮膚素材を貼り付けて見せる技術があるのだが、破壊屋はそれを好まなかった。どうしても仕事に必要な時には義肢ごと付け替えることもあるが、今日のような“夜の仕事”では必要な機能のつけられるこちらの形を望んで付けているようだった。
「……今回は結構殊勝な気分なんだがな」
うつ伏せになった顎の下に手を組んで置いて、破壊屋は苦笑とともにそう漏らした。
「既に痛い目に遭ったって?」
整備台に取り付けられているライトを、壊れたという膝裏に当てながら機械屋は問い返した。破壊屋はその問いに益々笑いを濃くして答えた。
「痛い? ……そうだな。だがこれから甘くなるかもしれない」
この男がただ甘いものが好きだとは到底思えない。そうかと言って、痛みも感じないのだろうが。
「幸せと快楽を一緒にしないことだね」
冷たく返して、機械屋は壊れた膝裏を覗き込んだ。修理箇所はすぐには分からなかった。他人の手が入ればすぐに気付く機械屋にとっては意外なことに、応急処置を施されたという部分を見つけるまでに数分を要した。それほど違和感なく、機械屋の義肢に溶け込む修理をしていたのだ。
「……破壊屋、この応急処置はあんたがやったのかい?」
破壊屋は直接それに答えることはしなかった。ただ滅多にない陽気な声でこう呟いたのだ。
「ばぁさん、どうやら俺は探し物を見つけたらしいぜ」
ぞくり、と肌が粟立った。探し物。あの炎の情景が目に浮かぶ。機械屋があの炎の中から連れてきたときから、破壊屋はずっと探し物をしているのだと言っていた。機械の手足を得て、破壊屋はその探し物を見つけるために仕事を始めたのだ。
「その探し物がこの修理をしたって?」
機嫌がよくなるのも当然のことだ。ずっと探していたものを見つけたというのであれば。だがその探し物が、人だったとは機械屋も思っていなかった。
「修理屋をしているんだとさ。腕はどうだ?」
「ここまで歩いてきたあんたが一番よく分かるだろうさ。有り合わせの物でやったにしては、良い出来だ」
本当は良い出来だ、という言葉では足りない。なるほど膝裏の壊れた部品を取り替えて応急処置的に間を繋ぐことはそれほどの技術を必要とするわけではない。だが正直出来すぎていると感じたのは、その修理技術ではなく素材選びだった。
破壊屋の機械義肢は鋼に近い合金だ。鋼よりも伸びが良く、軽いが強度は落ちない。機械屋が吟味して選んだ素材は、手に入らないものではないが一般的には流通しないものだった。ジャンク屋などで扱っている場合もあるが、それがどんな金属かを理解して扱っている人間は少ないだろう。だがこれは単なる偶然なのか。その修理屋が選んだのはまさに同じ金属なのだ。
「じゃあ、あんたが死んだらこの手足は修理屋に任せよう」
その修理屋とは何者なのだ。一気に畳み掛けて問い質したい気分になりながらも、機械屋は辛抱強く自分を宥めた。
「一応あたしも後継者を育てているんだがね。好きにしな。あんたみたいな客を抱えるのは、いくら弟子でも可哀想だ」
機械屋はその修理屋が応急処置をしたという部分から、繋ぎとして処置された部品を取り出した。何となくそれをそのまま他の部品に紛れさせてしまう気がせず、別の場所に置いて本来の処置を施す。また不快に心拍数が上がった。
「その修理屋とやらは、あんたを少しは人間らしくしてくれる相手なのかね」
努めて声を抑えて、機械屋は大人しく膝裏を修理させている破壊屋に問いかけた。破壊屋はその質問を馬鹿にしたように鼻で笑った。
「人間らしく? そいつは無理だろうな。あんたが人間をどう定義しているのか分からんが」
そう、無理なのだろう。少なくとも、破壊屋が枠内に入るような定義はしていないとはっきり言える。だがこの破壊屋が、壊すためではなく探していたというのなら、それは特別なこと、特別な相手だからこそだ。問題はその特別が、一体どういう意味を持っているものなのかということ。
「あんたはどうしてそいつを探していたんだい? あの施設の生き残りだから?」
そこまで口を挟まれることを、この男は決して愉快には感じないだろう。機械屋はそれが分かっていながら、しかし問いかけることを止められなかった。
殺せ、と言われた。
だからそうしただけだ、と少年は言った。一体誰に? 破壊屋が答えようとしないその謎を、機械屋は持ち続けている。何故そいつは、破壊屋にあの施設の人間を殺させたのだ。どうして、この男にそんな命令を与えることができた? 誰の命令もきくことは有り得ないと思えるこの男に。
破壊屋は機械屋の抱えている疑問の全てを知っていて、だがやはり答える気はないと明確に言ってみせた。
「ばぁさんが知る必要はない。あの施設は俺がすべて壊した。残っている物なんて、何もないさ」
破壊屋の言う通りだ。あの施設は焼け崩れて何も残っていない。その内包されていた謎以外何も残りはしなかった。ただ唯一残ったものと言えるものが――。
「あんたは?」
炎の子。あの時から機械屋を悩ませ続けている後悔の元。
「俺はあの施設の物じゃあない。最初から」
歌うように、破壊屋はそう言った。
「俺はな、ばぁさん。その探し物のために存在しているんだ。俺は、あいつだけのモノなのさ」
それは聞いたこともないほど甘い声だった。若い女だったら、その声だけで腰が砕け、まともな思考力を失ってしまうくらいの甘さだ。だが生憎、機械屋がその甘い声に感じたのは背筋を駆け上る悪寒だけだった。
「あんたが破壊屋で、その探し物が修理屋かい?」
「バランスを取り合っているんだろう。上手くできているもんだな」
上手く出来すぎている。それはバランスを取るためにそうなっているのか、それともバランスを崩すためにそうなっているのか。何といっても、破壊し、崩壊させることが目の前の男の性質なのだ。
「所有欲と、愛情の違いを考えたことがあるかい? 破壊屋」
「ないな。どちらでも、あいつが望むものを与えるまでだ」
お前が望むままに与える、の間違いではないのか。機械屋は思った。または、お前が望むままに奪うだけ。与えるも奪うも、この男にとっては同じことであろうから。
それきり、機械屋は口を開かずただ機械義肢を直すことにだけ集中した。破壊屋が探し物を見つけた。たったそれだけのことがこれから大きな意味を持ってくることを、何となく予感しながら。